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赴くままに読書通信

読んだ本を自分なりにまとめるブログ

『「24のキーワード」でまるわかり!最速で身につく世界史』角田陽一郎②

読書まとめ 歴史

第2講 水の話 

-その地域のルールや文化の特色は、水によって決まる-(1万年前~紀元前11世紀/四大文明の地域)

四大文明現代社会をも作ってしまった

乾燥地帯にあった四大文明に共通するもう一つの条件は「すべて大河の流域に存在した」という点

⇒乾燥地帯にたまたま自生していた植物を農耕するためには「水」を確保する必要があった

*飲むためにも食料を生産するためにも、人類は水がないと生きていけない

 

①都市の誕生

⇒地球上の真水が確保できる場所に人は集まり、農耕をし、“都市”が誕生する

②灌漑・治水

⇒他の水が無い場所に水を供給する「灌漑」、逆に水があり過ぎて起こる洪水などから守るための「治水」というみんなで一緒に力を合わせてやる人工的な大規模な共同作業が必要不可欠になる

③王の誕生

⇒取り仕切る指導者が求められる

戦争とは水が確保できる場所の争奪戦であり、政治とは確保した水を灌漑し治水する施策である

 

現代のカレンダーの元は5千年近く前にエジプトで誕生していた

 古代エジプトでの現地名=「ケメト(黒い土地)」

⇒西側に広がる荒涼とした沙漠=死の領域「デジェレト(赤い土地)」に対する生者の地である東側の肥沃なデルタ地帯を指す呼称が、やがて国を表すようになった

*エジプトが肥沃な土地だったのはナイル川のおかげ

 

◆「エジプトはナイル川の賜物」

①エジプトから南へ約6000km遡ったナイル川の源流があるアフリカ中東部のエチオピア高原で、モンスーン(季節風が降らせる雨が続く

⇒毎年6月から一気に増水し、7月に決まって下流のエジプトで氾濫を起こす

②氾濫により耕作の敵である塩分を農地から洗い流し、農業に最適な肥沃な土壌を上流から毎年定期的に運んでくれる

*毎年決まった時期に増水が始まるので、その日を元旦に設定して1年が365日の太陽暦が作られた

計画的で太陽を信仰する文明=エジプト文明

 

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このたびのたび・カイロ・ナイル川・ナイル沿岸の農業

 

契約や太陰暦が作られたのは争いが絶えなかったから

メソポタミアチグリス川ユーフラテス川はさまれた地域を指す(現在の西アジアイラクあたり)

⇒「meso」(中間)+「potam」(川)=「川の間の地域」という意味

 

◆不安定な水流、チグリス・ユーフラテス川

トルコ東部地方の高山地帯の雪解け水が源流

⇒水流の量が非常に不安定だった

シュメール人メソポタミア文明の最初の担い手)は「治水」を行い不安定さに対処した

⇒30km離れた地域ごとに「ため池」「水路」を作り、そこへ人が集まり複数の都市国家が形成され、少ない水の争奪戦を繰り広げ続けた

③周辺地域から水を求め牧畜民の侵入が繰り返されるため、各都市は防御のため堅古な城壁で囲まれた

④各都市の争い、農耕民と牧畜民の争いが絶えなかったため、「法律」が作られる

⇒有名なのは紀元前19世紀のアムル人の都市国家バビロン第一王朝の王ハンムラビによる『ハンムラビ法典

 ※争いを収めるために同害復讐という基準を設けた(国家が部族に代わって社会秩序を維持し始めたことを意味する)

*争いが絶えない社会の維持のために必要なことは、「人と人との取り決め=契約」だった

⑤契約の日時が分かりやすいように、月の満ち欠けで1年を12ヶ月にする太陰暦を定め、1日を24時間にした

部族間の争いが絶えず、そのために契約を重んじ、月の暦を基準とする文明=メソポタミア文明

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東奔西走温故知新:東トルコ - livedoor Blog(ブログ)

 

インダス文明で栄えた地域は古代から受けた影響が良く分からない!

インダス文明インド亜大陸の西部、現在のパキスタン・インドを流れるインダス川流域に出来た

インダス川の水源は季節風(モンスーン)による降雨とインド北部のヒマラヤ山脈・ヒンズークシ山脈が源流の雪解け水

 ※この地域で栽培された植物は綿花であり、綿花で作られる綿布に記録されたはずの文書は腐食して無くなっており現代に残っていない

 

◆断絶されたインダス文明

インダス文明の地域は、その後の気候変動でさらに乾燥化が進んだ

⇒河川の流路も変動するなどして文明は衰退に向かう

②紀元前1500年頃、北西部のアフガニスタンからウマと戦車に乗ったアーリア人が進出してくると滅んでしまう

 ※このアーリア人は、インド・ヨーロッパ語族の一派で現在のイラン人やヨーロッパ各民族の共通の先祖に繋がる

③アーリア人もこの乾燥がきついインダス地域から東のガンジス川流域に移動する

⇒それ以降西部のインダス川流域から北東部のガンジス川流域に重心が移動して、後のインド文明の元となっていく

インダス文明は今のインド文明に直接つながっていない

⇒現代のインドは古代と「断絶」されている

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インダス文明 - Wikipedia

 

「世界の中心は我々である」という中華思想は大昔からあった

東アジアの中国北部を流れる黄河は上流の西のゴビ砂漠の黄土が流れ込む泥が多い河川

黄河中国文明黄土高原と呼ばれる黄色い大地を形成した

 

集団主義的特徴を形成した黄河文明

①栽培されていたアワは河渡高原の地下水で栽培されたため、大規模な感慨は行われなかった

②広い地域で「(ゆう)」と呼ばれる小さな集落が点在し、それぞれの邑に住む部族の祖先が崇拝された

 ※誰よりも偉かったのは自分たちの祖先

黄河文明は極めて閉鎖的・同族的な文明になり、現在の東アジア地域の集団主義的な特徴を作る元になっている

③各邑同士の争いや連合から邑連合が形成され、そのひとつが「(いん)」という国になった

*閉鎖的な世界の中で形成された自己完結型の世界観が「中華思想

⇒「自らが「世界の中心=中華」であり、外部は自分達の下に序列する下部集団に過ぎない」という考え方は現在も続いている

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黄土高原 - Wikipedia

 

第2講 水の話 おわり

 

「24のキーワード」でまるわかり! 最速で身につく世界史

「24のキーワード」でまるわかり! 最速で身につく世界史