赴くままに読書通信

大切に残しておきたいものを記録します。

『お金の流れでわかる世界の歴史』大村大次郎①

第1章 古代エジプト古代ローマは“脱税”で滅んだ

1.古代エジプトの繁栄を支えた“徴税システム”

国家の盛衰には「パターン」がある

古代エジプトは財政の面から見ると、古今東西の国家盛衰プロセスの典型的な例でもある

=国家の盛衰というのは、古代から現代までだいたい似たような経緯を辿る

 

なぜ古代エジプトだけが3000年もの間、平和で豊かな時代を送ることができたのか?

徴税システムが大きな要因

古代から現代まで、その国の王・政府にとって一番面倒で大変な作業が「徴税」

 ※税金が多すぎると民は不満を持つし、少ないと国家が維持できない

古今東西、国家を維持していくためには、「徴税システムの整備」と「国民生活の安定」が絶対条件

 

優秀で清廉な下級官僚たち

古代エジプトの力の源は中央集権的な国家制度

古代エジプトは、中央政府が国の全ての行政権、徴税権を持っていた

これらの行政・徴税義務を担っていたのが書記(セシュ)と言われる下級官僚たち

 ※書記=行政状況の記録・行政全般の事務を行っていた。読み書きも出来た貴重な人材として重宝された

 

古代エジプトの行政機関が優れていた点は、書記(徴税役人)がれっきとした国家の官僚だったということ

→国家から給料が支払われていたので、彼らは決められた通りの税金を徴収するだけで良かった

 ※中世までは徴税人とは請負制によるものが多く、「①国家から徴税権を得る→②決められた額の税金を国家に払う→③税を多くとればとるだけ自分の収入になる」という不正に税を取り立てるケースが多かった

 

①書記は税務調査を行う権利も持っていた

→収穫物や商品の在庫などを調べ、領民を尋問して行われた(現代の税務調査そのもの)

しかし、国を治めるファラオ(王)たちは書記に対し「慈悲のある振る舞いをせよ」と命じていた(納められない者には3分の2は免除、万策尽きた者には追求してはならない等)

②徴税役人である書記を監視する機関もあった

→「国民から過分な税金を取った徴税役人は鼻を切り落としたうえでアラビアに追放する」というお達しまで下されていた

 

徴税役人の“腐敗”が滅亡のきっかけに

古代エジプト後半期(紀元前1300年頃)になると、徴税役人たちは王の目を盗んで過重な税を取り、私腹を肥やすようになってきた

②ファラオたちはそれを埋め合わせるためにさらに重税を課した

③過分な税負担に耐えられないものが出てくる

④税を払えなくなった者が農地を放棄したため農村の人口が減り、ナイル川の堤防も補修できなくなってしまった

⑤洪水の被害が、さらに農村を弱めていった

このような状況で力を付けてきたのが宗教団体「神殿(アメン神殿)」

 ※ファラオ達が信仰するアメン神を祀った神殿だったが、ファラオ達の権威の低下とともに力をつけていった

→神殿の土地や収穫物には税金がかからず、神殿の労働者は人頭税を払わなくてよかった

*税金を払えなくなった者が神殿に逃げ込んだ場合、徴税役人からの追及を逃れることが出来た

 

⑥人々が次々にアメン神殿に逃げ込み、課税対象となる土地や資産を寄進した

⑦アメン神殿が大きな力を持つようになり、古代エジプト末期には王家の課税基盤は2分の1にまで減っていた

⑧紀元前1080年頃にはアメン神殿はエジプトの中で独立国家のようになり、古代エジプトは事実上、分裂した

⑨弱り切ったエジプトは紀元前525年に、ペルシャで興ったアケメネス朝に屈してしまう

⑩紀元前332年にはマケドニアアレクサンドロス3世に滅ぼされてしまう

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アメン大神殿のオベリスク

 

2.古代ローマは“脱税”で滅んだ

「少ない税金」が自由な経済活動をつくる

古代ローマでは、原始的ながら民主主義的な制度が機能しており、現代の民主主義制度にも大きな影響を与えた

古代ローマは1000年以上にわたって続いたが、大まかにいって3つの時代に分けられる

①紀元前753年~紀元前509年までの「王政期」

②紀元前509年~紀元前27年までの「共和制期」

③紀元前27年~紀元395年までの「帝政期」

君主制と共和政が交互になっている

 

古代ローマが繁栄した要因の一つに、市民の自由な経済活動があった

=共和政時代には、ローマ市民はほとんど直接税を払っていなかった

 ※最低限の行政経費は、輸出入における関税や奴隷税で賄っていた

 

やがてローマが周辺国との戦争を拡大するようになると、「戦争税」が設けられる

 ※戦争税=財産税の一種。市民が全財産を申告し、それに応じて課せられる税金

この戦争税のユニークな点は還付制度があったところ

→ローマ軍が戦争に勝ち、戦利品などがあれば納めた税金に応じて還付された

しかし、ローマ軍が勝ち進み、領地が拡大するとともに戦争税は廃止。戦争税の代わりに、征服地からの税を財源にした

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ローマ史(ローマし)とは - コトバンク

 
帝国主義化―お金はどう動くか

紀元前130年頃、ローマの属州に対して「収穫税」を課すようになる

 ※この収穫税では、徴税請負人に委託して徴税義務を行わせた

徴税請負人は、あらかじめローマ政府から5年分の徴税権を買い取るという仕組み

*徴税請負人制度の最大の欠点は、徴税請負人の権力が肥大化していくということ

 

5年分を前納するには、莫大な資金力が必要となるため、徴税請負人たちは結託して会社組織のようなものを作った(世界最古の会社と言われる)

①徴税請負会社はローマ政府に莫大な徴税権代金を払っているのでそれ以上の税を得ようとした

②属州に対して強制的に税を徴収する権利が与えられていたので、徴税は過酷を極めた

③徴税請負会社は直接徴税せず、各属州で現地の下請け徴税請負人を雇い、中間マージンを取った

④属州の住民は、徴税請負会社と現地の徴税請負人の両方からマージンを取られるようになった

⑤税負担は跳ね上がり、叛乱を起こす属州も出てきた

⑥紀元前88年、トルコ地域の王ミトリダテス大王の画策によりギリシャの大部分の都市が一斉に蜂起し、ローマの徴税請負人8万人、ローマ人商人2万人が殺される

⑦ミトリダテス大王は「徴税請負人の廃止」「蜂起に参加した都市全部の5年間免税」を求める

⑧ローマ軍によって叛乱は鎮圧されるが、ローマ政府は大きな打撃を蒙りローマ共和政府は混乱し、帝政へと移行する

 

皇帝ネロ“税制安定策”を施すも…

ローマの共和政が崩壊した要因の一つは徴税システムが機能しなくなったこと

古代ローマには国家システムを改善へと導く強いリーダーが必要だった

帝政ローマ初代皇帝アウグストゥスの登場

*ローマの歴代皇帝たちは徴税システムの簡素化公平化に心を砕いた

アウグストゥスは徴税請負人をなるべく通さず、政府が直接属州に対して徴税を行うように改め、新たにローマが手に入れたエジプトを皇帝の直轄地にし、財政基盤の強化を図る

・ネロはこれまで市民に公開されていなかった「徴税規則」を公表し、税金を払えないものに対する徴収税を一年の時効で消滅させることにし、徴税担当官の不正撲滅を最優先課題に掲げた

→これらの皇帝たちの努力により、古代ローマの徴税システムは以前に比べて安定するようになるが、徴税請負人制度は撤廃されておらず、徴税担当者の腐敗も後を絶たなかった

 ※『新約聖書』は帝政ローマの支配下に置かれていたイスラエル地方が舞台であり、徴税人のエピソードが頻出し、当時の徴税人はユダヤ社会では罪深い存在として扱われていた

 

紀元200年の“ハイパーインフレ

税収不足に悩まされたローマ政府は通過の増発を行った

 ※当初純銀でつくられていたデナリウス貨は皇帝ネロの時代から銀含有量が減り始め紀元200年頃には銀含有量は初期のデナリウス貨の50%程度になり、紀元270年頃にはわずか5%になりその後も下がり続けた

 →激しいハイパーインフレが生じる

*インフレを止めるには、通貨増発以外に税収を得る道を探さねばならない

 

紀元前284年にローマ皇帝に即位したディオクレティアヌス大幅な課税強化を行った

ローマ帝国内の各都市、属州に対して中央政府が直接の課税に乗り出した

=徴税請負人や地元の権力者らの「中間搾取」を排除しようとした

ディオクレティアヌスの税制改革は一旦は成功し、ローマ帝国はかつての隆盛を取り戻したものの、その徴税システムは長続きしなかった

 

ディオクレティアヌスの徴税システムを遂行し続けるには巨大な官僚組織が必要だった

→官僚組織は巨大化すればするほど腐敗する可能性が高くなる

100年後、古代ローマは東西に分裂し、やがて衰退していくことになる

 

『お金の流れでわかる世界の歴史』第1章 おわり