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赴くままに読書通信

読んだ本を自分なりにまとめるブログ

『お金の流れでわかる世界の歴史』大村大次郎④

読書まとめ お金 歴史 世界史

第4章 そして世界は、スペインとポルトガルのものになった

◆“経済後進国”だった中世までのヨーロッパ

ヨーロッパ諸国が世界経済の中で台頭してくるのは大航海時代以降のこと

→スペインやポルトガルなどでは競って遠洋航路に乗り出し、アメリカ大陸を発見したり、地中海を通らずしてアジアに向かうアフリカ航路などを開拓した

 

●中世西欧国家の「脆弱さ」が大航海に乗り出させた

①当時の西欧諸国はアジアからもたらされる香料(スパイス)を求めていた

 ※香料は西欧料理を画期的に進歩させた魔法の食材であり、万病に効く健康増進材とも考えられていた

オスマン・トルコと西欧諸国は常に敵対関係にあり、必然的に香料は非常に高い値が付いた

オスマン・トルコを迂回してアジアと交易するルートを模索し始めた

大航海時代の始まり

 

◆「航海マニア」エンリケ王子の経済的な功績

 大航海時代の先鞭をつけたのはポルトガル

 ポルトガルイベリア半島の西端に位置し、もともとはカスティリャ(当時のスペインの中心国)の一部だった

→この地方の領主だったアフォンソ1世が敵対するイスラム勢力を駆逐するなどして力をつけ、1143年にローマ教皇の裁定によりカスティリャから独立、ポルトガルが誕生

 

ポルトガルの躍進

①1249年、国内のイスラム勢力を一掃

②1317年、イタリア・ジェノバ(当時世界でも有数の先進都市だった)から提督を招き本格的な海軍をつくる

→スペインから独立してしばらくの間は双方仲が悪く、陸地はすべてスペインに接していたため海上交易が急速に発達した

③1415年、ジブラルタル海峡をはさんだセウタ(アフリカ大陸側)を攻撃、陥落させる

*当時西欧諸国はイスラムから侵攻を受けていたが、セウタはイスラム海賊の拠点となっていた都市だったためポルトガルは大きな自信をつける

→海洋進出を本格化させる

 

ポルトガルの航海術を飛躍的に進歩させたエンリケ王子

エンリケ王子ポルトガルを独立に導いたジョアン1世の三男。航海に強い関心を持ち、ヨーロッパ中の航海術、天文学、地理、造船などの専門家を呼び寄せた

・探検航海のスポンサーとなり、アフリカへの航路を切り開く

・1444年アフリカ西南の黒人国セネガルにまで進出

 ※当時のヨーロッパはアフリカ大陸については未知の領域であり、「人は近づくことができない」という迷信もあったが、エンリケ王子によりその迷信を打ち破られた

ポルトガルはアフリカを着々と植民地化し、アフリカ南部の金を大量に入手するなどして急激に国力を増強した

*これに触発されたスペインもまた海洋進出に乗り出し、西欧諸国によるアフリカの植民地化が始まることになる

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大航海時代

 

大航海時代の主役・スペインの台頭

スペインはヨーロッパ大陸の最西に位置し、アフリカ大陸が目と鼻の先にあり、大西洋とも地中海とも面している

→東西交易の要衝となるべき位置にあった

 

●スペインが築いた強大な勢力

①スペインは鉱物資源に恵まれ、農業に適した風土であった

古代ローマ帝国の属州イスパニアだったときから繁栄していた

②15世紀半ばに現在の国家としてのスペインの形ができる

 ※スペイン地域のキリスト教勢力がイスラム勢力を駆逐し、1469年に二大王国カスティリャ王国アラゴン王国が婚姻により統合(フェルナンド王子とイサベル王女の結婚)、夫婦の次女フアナはハプスブルク家に嫁ぎ、その息子のカルロス1世神聖ローマ帝国の皇帝となった

 

ローマ教皇令「スペインとポルトガルで世界を征服せよ」

大航海時代15世紀後半から本格的に始まる

 

ポルトガルの動き

①1488年、バルトロメウ・ディアスがアフリカ南部の希望峰に到達

②1498年、ヴァスコ・ダ・ガマがアフリカを周ってインドまで到達する航路を開拓

 

・スペインの動き

コロンブスのインド航路開拓のスポンサーになる

 コロンブスが開拓に乗り出したインド航路とは大西洋をを周り地球の裏側からアジアに達するルートのこと

コロンブスの目的はアメリカの発見ではなかった

コロンブスはアメリカ大陸にほど近い群島に辿り着き、そこをインドと疑わずインドの西、西インド諸島と名付ける

コロンブスはインド航路の開拓はできなかったが、アメリカ大陸を発見した

③アメリカ大陸にいち早く進出し、アメリカ全土を支配してしまいそうな勢いだった

 

キリスト教による世界分割計画

①1944年、ポルトガルローマ教皇に働きかけて「アメリカ大陸はスペインとポルトガル二国で分割せよ」という命令を出させる(トルデシリャス条約

 ※ヨーロッパ以外の領土をスペインとポルトガルで二分するよう定めたもので、ローマ教皇アレクサンデル6世が承認した。西経46度36分を境にして両国で二分し、形式上アメリカ大陸のみならず全世界が二分されることになっていた

*当時のキリスト教徒にとっては、キリスト教を広めることが任務だったのでさして不道徳なこととも思っていなかった

 

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Geographico! トルデシリャス条約という縄張り

 

◆なぜ新大陸が“金融革命”をもたらした?

1545年、スペインは植民地としていた南米ペルーでポトシ銀山を発見する

→約150年の間に160万トンの銀河スペインにもたらされ、当時ヨーロッパ全土で保有していた銀の3倍に相当した

また、金もアメリカ大陸から18万トン運ばれてきており、全ヨーロッパ保有分の5分の1の量だった

*ヨーロッパでは金貨・銀貨が大量に流通するようになり、国際間の物流が促進されるとともに、物価の上昇も招いた

 

●スペイン人による布教の裏の収奪・殺戮

ヨーロッパの金融革命の陰で、南米のインディオは壊滅的な打撃を受けていた

→スペインはアメリカ大陸で植民地政策を進めるために「エンコミエンダ(信託)」という制度を採る

 ※スペインからアメリカに行くものに現地人(インディオ)をキリスト教に改宗させる役目を持たせ、その代わり現地での徴税権を与えるというもの

*「キリスト教の布教」という建前を掲げ、現地人からどれだけ収奪してもいいという許可を与えた結果、200年間でインディオの人口の90%が死滅した

 

◆黒人奴隷のほとんどは黒人によって売られた

16世紀から近代にかけて、欧米諸国は黒人奴隷貿易によって潤い、黒人奴隷を酷使した農場経営により経済発展してきた

→実は黒人奴隷のほとんどは、黒人自身により奴隷化され、売買されていた

①16世紀当時、奴隷を主に購入していたのはスペインだった

西インド諸島などでサトウキビの栽培を始めており、熱帯地域で過酷な労働に従事できる黒人奴隷を必要としていた

②スペインに奴隷を販売していたのはポルトガルだった(黒人部族から黒人奴隷を仕入れていた)

 ※当時のアフリカ諸国では黒人部族間の争いが絶えず、黒人部族間の争いで負けた側は勝者の奴隷になる風習があった

ポルトガルダホメー王国(代表的な黒人部族)へ武器や織物を対価として奴隷を受け取り、ダホメー王国は入手した武器を使って周辺の黒人部族を制圧、そこで得た奴隷をポルトガルに売り勢力を拡大させた

*アフリカの黒人部族はポルトガル人にいいように利用され、滅亡と奴隷化の道に進んでいった

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有色人種、500年の悲劇 ・奴隷 正しい日本の歴史 | 正しい日本の歴史 | 正しい歴史認識

 

◆宗教政策が経済をここまで悪化させる

大航海時代前半の主役は紛れもなくスペインであり、その強さの象徴は「無敵艦隊」にあった

→当時のスペインは強力な海軍力を誇り、その威圧により広大な植民地を獲得、支配してきた

 ※1571年レパントの海戦で、キリスト教国の宿敵だったオスマン・トルコを破り名実ともに「無敵艦隊」であった

 

大航海時代スペインに蔓延る財政危機の慢性化

17世紀に入ると無敵艦隊イギリス海軍に押され始め、世界の覇権をイギリスに奪われてしまう

→スペイン衰退の最大の要因は「財政問題

①イギリス・フランスなどヨーロッパ諸国との度重なる戦争に加え、オスマン・トルコともたびたび戦火を交えた

 ※スペインはカトリックを国教とし、プロテスタントや他の宗教を許さなかったためプロテスタントの多いイギリス・フランスとの衝突の要因となった

③16世紀終わりにスペインの一部であったオランダが独立

 ※当時のオランダは世界で最も裕福な地域であり、オランダからの税収はスペインの材集の柱になっていた

プロテスタントの多かったオランダはスペイン政府に不満を抱き、1568年独立戦争が起きる(80年戦争

④1492年に「ユダヤ教徒追放令」を出した

→税制に長じていたユダヤ人を追い出したことで、スペイン財政を大きく悪化させた

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『初夏のオランダ旅行(14)アムステルダム 国立ミュージアム【後半】』 [アムステルダム]のブログ・旅行記 by kojikojiさん

 

無敵艦隊は“消費税”によって沈められた!?

スペインは財政を好転させるためにアルカパラと呼ばれる「消費税」を導入する

 ※中世の頃イスラム圏から持ち込まれ、税収の柱に置いていた

→当初は不動産や一部の商品の取引にだけ課されていたが、次第に課税対象が拡大し、食料品など生活必需品にも課せられるようになった

*当時のスペインの消費税アルカパラは一つの商品に取引業者の手を経るごとに消費税が蓄積され、蓄積された消費税は商品の価格に上乗せされた

 

●海運業の衰退から海軍力の衰退へ

大航海時代のスペインは物価が大幅に上昇した

→商品が他国に比べて割高になり、スペイン産品が輸出しにくくなる一方で、安い輸入品が国内で出回った

②国際収支・財政悪化が海運業にも深刻な影響をもたらした

 ※16世紀後半までのスペインはイギリスやフランスの2倍の商船隊を持っており、「無敵艦隊」の礎となっていた

③17世紀になると、船舶数で75%以上の激減となり、スペインの港は外国船で占められ造船業もほぼ壊滅した

*当時の海軍は日ごろ商戦として使用している船舶を戦時には軍艦として利用することが多く、海運業の衰退は海軍力の衰退を意味した

 

『お金の流れでわかる世界の歴史』第4章 おわり