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赴くままに読書通信

読んだ本を自分なりにまとめるブログ

『お金の流れでわかる世界の歴史』大村大次郎⑤

読書まとめ お金 歴史 世界史

第5章 海賊と奴隷貿易で“財”をなしたエリザベス女王

◆浪費家・ジョン王の国民への“謝罪”-マグナカルタ

1215年、イギリス国王ジョン王は、国民に対し「国王が勝手に税金を決めてはならない」「国民は法によらずして罰せられたり、財産を侵されたりしてはならない」という約束をした(=マグナカルタ

 ※ジョン王=戦争好きで、フランスとたびたび戦争をし、負けてばかりいたので度重なる戦費税収に業を煮やしたイギリス市民や貴族らが廃位を求めた経緯がある

*この「マグナカルタ」があるため、イギリスは他のヨーロッパ諸国とは違う経済財政史を歩むことになる

 

中世ヨーロッパ諸国は戦争に明け暮れており、どの国も税収不足で悩まされていた

→イギリスは増収で戦費を賄う選択肢が採れなかったため、他に採った以下2つの方法が結果的にイギリスを大帝国に仕立て上げることになった

①産業発展

②他国(他勢力)からの略奪

この2つの方策、つまり「産業発展」よりも「他国からの略奪」に力を入れてきた

 

◆イギリスがローマ協会から離脱した「金銭的な理由」

イギリスの中世以降の歴史を見ていくと、 「イギリスは略奪によって発展した」と言わざるを得ない

 

●イギリスの「教会」に対する略奪

①16世紀後半、ヘンリー8世の時代、ローマ教会から離脱(イギリス国内の教会財産をすべて手中にする)

ヘンリー8世はローマ教会から破門されるようにわざと自分から仕向け、関係を絶つことでローマ教会の収入を奪った?

 ※当時のキリスト教徒には自分の収入の10分の1を納める「十分の一税」というものが存在し、ヘンリー8世自身はこの支払いをやめていた

②1534年、ヘンリー8世は「国王至上法」により自分がイギリス国教会の最高位者であると宣言

→イギリスのキリスト教会の財産をすべて手中にした

 

◆海賊の“スポンサー”としてのエリザベス女王

 エリザベス女王が極めた略奪は、「海賊」と「奴隷貿易」がある

エリザベス女王の治政下、国内の当時は安寧を保っており、税金が最も安い時代とも言われていたが、財源の埋め合わせの方法として用いたのが「海賊」だった

 

大英帝国への基礎を築いた経済発展

エリザベス女王以前のイギリスは毛織物ドイツなどに輸出する貿易国だった

 ※しかし、スペインの新大陸でのポトシ銀山発見によりヨーロッパ経済の流れが大きく変えられ、銀輸出を主な産業にしてきたドイツが衰退してしまう

エリザベス女王は苦肉の策として「海賊行為」を行うことにした

②元からいた海賊たちを懐柔し利用する(もっとも重用された海賊がフランシス・ドレイク

 ※フランシス・ドレイク=マゼランに次ぎ世界一周を行いスペインの無敵艦隊をやっぶったことで知られるイギリスの海軍提督。もともと海賊だったが女王に見込まれ、国家プロジェクト的に海賊行為を行い後に海軍提督にまでなった

*表向きは海賊行為をしてはならない、という姿勢を取っていたが、水面下では海賊たちをけしかけていた

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大航海時代の伝説的海賊達 - NAVER まとめ

 

◆一回の海賊航海で「国家収入の1年半分」を得る!

1587年4月、ドレイクはエリザベス女王主宰による「海賊航海」に出る

→ドレイクは20隻からなる大船団を率いており、エリザベス女王から王室船5隻が提供された

①スペイン南部のカディスを襲撃

・スペインの商船が多数停泊しており、ろくに抵抗する暇を与えず商品を奪う

カディス港に上陸、カトリック教会の破壊、放火を行った

②2カ月後、大西洋のアゾレス諸島でスペインの国王船「サン・フェリペ号」を拿捕

・サン・フェリペ号は東南アジアからの帰途にあり、金・銀・絹・香料を満載しており、それを奪う

→これらの海賊行為でイギリスに約60万ポンドをもたらし、エリザベス女王はその半分の30万ポンドを得ていた

*当時イギリスの国家予算が20万ポンド程度であり、1年半分の国家予算をドレイクの海賊行為から得ていたことになる

この収益により対外債務をすべて返済、残ったお金を地中海貿易の独占会社「レヴァント会社」に出資する

 

◆“国家プロジェクト”としての海賊―その駆け引き

16世紀半ば、イギリス海峡には約400隻の海賊船が横行していた

 ※海賊船はイギリス人だけでなく、フランス人のものも多数あり、また、スペインもユダヤ人の商戦などを襲い、積み荷の略奪を頻繁に行っていた

→イギリスの場合、国家プロジェクトとして略奪を行っており、当時は海賊船のことを「私掠船」と呼ばれた

*私掠船は国によって「敵対国の船などを拿捕すること」を認められた「海賊船」であり、イギリスは海賊にその承認を与えてる代わりに略奪した積み荷の5分の1を国軍に納める義務を課した

 

カトリック国スペインとプロテスタント国イギリスの争い

スペインはイギリスに再三抗議をしたが、エリザベス女王はその抗議を一応聞くふりをしつつ海賊行為はやめなかった

 ※中世ヨーロッパ王室は国をまたいで婚姻なども頻繁に行われ、全体が親戚同士のような関係だったため「共存共栄」の建前があったが、国同士・国王同士のライバル関係は当然あり、それがエスカレートすると血が近い分だけ確執は激しかった

→さらに、スペイン王室はカトリック、イギリス王室はプロテスタント寄りだったため、表面上は友好を装いながら、内心では反目し合っていた

①1568年、イギリスの奴隷貿易船が洋上でハリケーンに見舞われ、やむなくメキシコ湾のサン・ファン・デ・ウルアという島に寄進

 ※当時、ここはスペインの植民地だったためイギリス船団はスペイン当局に許可を得なければならなかった

→スペインの植民地当局はイギリス船団に許可を出し港内に招き入れたが、イギリス船団は突然スペイン船団に襲われ、壊滅的な打撃を蒙った

②1588年、スペインの「無敵艦隊」がイギリスに対して攻撃を行う

→イギリスの海賊行為に対する報復でもあった

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1588年 〈イギリス海軍、無敵艦隊を撃破〉★★★ - ベック式!暗記法ブログ TOP

 

奴隷貿易による莫大な“収入”

イギリスが奴隷貿易を始めたのは16世紀半ば、1560年代からだとされている

→イギリス議会が奴隷貿易を廃止したのは1807年なので、250年もの間奴隷貿易を行っていた

 

●加速するイギリスの奴隷貿易

イギリスの奴隷貿易は、当初は密貿易だった

①スペインが最初に黒人奴隷を大々的に使ってサトウキビのプランテーションを行う

ポルトガルがスペインと協定を結び、奴隷の独占販売を行う

→スペインは奴隷の購入に関し輸入税を課してもいたので、許可を得ていない業者が参入するのは非常に難しかったのだが、そこにイギリスが食い込んでくる

③イギリスは海賊行為によりポルトガルの奴隷船を拿捕、ポルトガルの「正規価格」よりも安くスペインに奴隷を売りつける

→イギリスの奴隷貿易の先駆をなしたのはドレーク船長の師匠ホーキンズだった

 ※ホーキンズ=1532年イギリスでも有数の貿易業者の家に生まれ、アフリカ、ポルトガルなどでの密貿易のコネクションがあった

④1562年、アフリカで300人近い奴隷を集め、スペインの植民地となっていた西インド諸島サント・ドミンゴに赴き、嵐による緊急避難を装いスペイン当局に入港の許可を求める

→食料などの調達費用のために「積み荷の奴隷を処分させてほしい」と願い出て、スペイン役人は特例として当地での奴隷の売却を認め、ホーキンズはこの奴隷貿易により莫大な収益を得た

⑤スペイン王室はホーキンズについて報告を受け、エリザベス女王に対して厳重な抗議を行うものの、エリザベス女王はホーキンズを取り締まらず、2回目の奴隷貿易の際には出資者の一人となった

 ※海賊航海は、1560年代に、分かっているだけで4回は行われている

ポルトガルエリザベス女王に対して再三抗議を行うが、ここでもエリザベス女王はのらりくらりとかわす

奴隷貿易においてイギリスでの積み出し港だったのがリバプールであり、大西洋に面し、ロンドンにもほど近いため国際貿易には最適だった

 

奴隷貿易権を獲得していくイギリス

18世紀になると、正式な貿易として行われるようになる

①1701年から12年間続いたスペイン継承戦争により、イギリスは正式に奴隷貿易の権利を獲得した

 スペイン継承戦争=スペインの王位継承をめぐってイギリス、フランス、スペイン、ポルトガル、オランダなどヨーロッパ主要国のほとんどが参加した戦争のこと

→イギリス、オランダなどの連合国側が優勢のうちに停戦、講和条約の「ユトレヒト条約」にはイギリスにとって様々な有利な条件が付けられた

*この条約により、イギリスは「堂々」と奴隷貿易を行うことができるようになった

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『お金の流れでわかる世界の歴史』第5章 終わり