赴くままに読書通信

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『お金の流れでわかる世界の歴史』大村大次郎⑥

第6章 無敵のナポレオンは“金融戦争”で敗れた

いつもお金に困っていた中世ヨーロッパの国王たち

中世ヨーロッパ諸国では、国全体が王の領土ではなく貴族・諸侯がそれぞれを領地を持っていて、王はその束ね役に過ぎなかった

→貴族・諸侯は税金を免除され、国王の収入は直轄領からの税と関税程度しかなかった

*そのような背景がありながら、中世ヨーロッパ国王たちは戦争に明け暮れていた

 

そのためヨーロッパ国王たちはヨーロッパ各地の商人からお金を借りてしのいでいた

 ※スペインのフェリーぺ2世は1557年、1575年の2回に渡り破産宣告(デフォルト)をしている

→今も昔もデフォルトを起こした時に一番困るのは、次に借金がしにくくなること

 

国王の“デフォルト”が招いたフランス革命

フランスはローマ帝国の地を濃く引く中世からのヨーロッパの大国

ルイ14世の時代に強固な王政国家を築くが、フランス革命によって王政は倒される

フランス革命は、実は王室の財政破綻デフォルトが大きな要因となった

 

フランス革命が起きるまで

①歴代のフランス国王は何度かデフォルトをしており、タイユ税という重税を国民に課していた

 ※タイユ税=土地税と財産税の性質を持ち、イギリスとの百年戦争の時に設けられたが、貴族や僧職、官僚は免除されていた

→免除特権を持つ貴族たちはますます富み、農民や庶民はどんどん貧しくなり、当時のフランスでは3%の貴族が90%の富を独占していた

②徴税請負人による不正が後を絶たなかった

ローマ帝国その他の歴史上の名だたる帝国は徴税請負人の不正により国家財政を悪化させてきた

フランス革命時の国王ルイ16世も大変な借金を抱えていた

④1777年、ルイ16世は国家財政を立て直すためスイスの銀行家ジャック・ネッケルを財務総監に抜擢

 ※スイスはフランスにとって重要なお金の借入先でもあった

→スイスの金融に広いコネクションを持っている銀行家ジャック・ネッケルの登用により、スイス金融から支援を受けようとした

*このジャック・ネッケルがフランス革命のキーパーソンとなる

 

国王の“収支決算”を見て国民が激怒!

ネッケルは国家財政立て直しのために、徴税請負人制度の改革に乗り出す

 

●当時の徴税請負人制度

・徴税権と引き換えに国家にお金を貸す

→徴税請負人が国務院から徴税を行う前に、徴税請負人が税金分のお金を国に貸し、その借金の見返りとして「徴税権」を国から与えられていた

・徴税請負人には国にお金を貸せるほどの裕福な者が就く

→国の「徴税権」を自由に行使できるため、やすやすと金儲けができた

*「裕福な物が徴税特権を得て、さらに裕福になり、民衆を苦しめる」という致命的な悪循環を招いていた

 

●ネッケルの財政立て直し策

①徴税請負人が国家にお金を貸すことを禁止、徴税請負人に対し厳しい監査制度をつくり不正を許さないようにした

→フランスの貴族や特権階級の者達が猛反発し、「パンフレット」を使いネッケルを執拗に攻撃した

 ※パンフレット=現在の冊子のような薄いパンフレットのこと。当時のフランスで多数発行され、市民に広く読まれていた

②フランスの国家の歳入と歳出の内容を市民に公表した(世界史上ほぼ初めてのこと)

→自分が潔白であることを証明するための苦肉の策だったが、この国家財政の公表がフランス市民に大きな衝撃を与える

③会計公表により、フランス市民の強い支持を得る

→1781年、強い批判を受けたルイ16世はネッケルと一旦罷免する

⑤1788年、フランス市民の圧倒的な後押しを受け、財務総監に復職

→1789年、ルイ16世が再びネッケルを罷免すると、パリの市民が激怒し蜂起する

*こうしてフランス革命が起こった

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Change Our World 【大世界史2015】(12) フランス革命(1789年)――フランス革命が明かす“暴力”と国家の真実

 

国家財政の魔法の杖―徴兵制

フランス革命期に彗星のごとく現れ、瞬く間にヨーロッパを席捲したナポレオン

→ナポレオンが強かったのには経済的な理由がある

 ※当時のフランスは他国に先駆けて徴兵制を強いていた

*「徴兵制」というのは国家財政にとって魔法の杖ともいえるものだった

 

●フランスが他のヨーロッパ諸国に先駆けていた「徴兵制

・当時のヨーロッパ諸国にとって軍は「傭兵」で構成するのが基本

→莫大なお金がかかる

・フランスの徴兵制

→兵を雇うのにお金がかからず、かつてないほどの規模で兵力を保有することができる

*ナポレオンが強かったのは、当時のフランスがこの「徴兵制」をいち早く採用できたたため

 

フランス革命によりヨーロッパ諸国が抱いた「恐れ」

フランス革命当時のフランスはヨーロッパ諸国から目の敵にされていた

→フランスで「王政」が倒されたことで、周辺のヨーロッパ諸国は革命が自分の国に波及するのを恐れた

②ヨーロッパ中の国が結束しフランスの革命を潰しにかかった

③フランスは、ヨーロッパ諸国の干渉に対し「徴兵制」で対抗する

→1793年「国民総動員法」が成立、18歳~25歳までの男性が兵として駆り出されることになる

→1798年には正式に徴兵制度が確立する

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ナポレオンは“資金不足”で敗北した

徴兵制により軍事費が格段に安くなったものの、ヨーロッパ中に兵を繰り出すようになると相当な戦費が必要になった

→ナポレオンは軍事的には天才と言われたが、財政面では全くの素人だった

 

●ナポレオンの躍進と失われる資金

①1806年、ナポレオンはフランス占領下のオランダをホラント王国とした

 ※当時のオランダのアムステルダムは世界金融の中心地であり、世界中の資金がここに集まっていた

アムステルダムの金融家を高圧的に支配しようとし、金融家たちはロンドンに逃げ込んだことで世界金融の中心はロンドンに移った

②占領地からの賠償金で軍費を賄おうとしたが限度があった

③フランスが北アメリカに保有していた植民地を独立したばかりのアメリカ政府に1500万ドルで売却した

 ※このとき売却されたのは現在のルイジアナアイオワ、テキサスなど15州にまたがる広大な地域で、アメリカの領土の23%にもあたる

④1805年にはフランス革命より廃止されていた塩税を復活させた

 ※塩税=国家が塩を専売する制度で、王政時代のフランスの主要な財源であり、塩の価格に税が上乗せされるため庶民にとっては厳しい税だった

*一方、ナポレオンの最大の対抗勢力だったイギリスは、進歩的な税制と国債により十分な軍資金を準備していた 

 

『お金の流れでわかる世界の歴史』⑥ おわり