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赴くままに読書通信

読んだ本を自分なりにまとめるブログ

『日本人の遺伝子』渡部昇一①

第1章『古事記』の伝承

古事記』の成り立ち

古事記』がまとめられたのは和銅5年(西暦712年)

⇒ひとつの国の連綿と続く歴史を記した書物として最も古いもの

f:id:yuna84Galaxy:20160905172010p:plain第四十代・天武天皇 

「私が聞いていることは、緒家が伝えている帝紀と本辞は真実と違い、多くの偽りを加えているということだ。いまの時代においてその誤りを正さなかったら、幾年もたたないうちにその本旨がなくなってしまうであろう。これは国家の要素であり、天皇の指導の基本である。そこで帝紀を記し定め、本辞を調べて後世に伝えようと思う」

 

 ※その前の聖徳太子の時代から史書はあったと言われているが、蘇我氏の滅亡とともに焼けてしまったという記録が残っている

*今後そういうことが起こらないように改めて史書をまとめておきたいと考えられたのかもしれない

 

◆『古事記』の制作に携わった人々

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・第四十三代・元明天皇太安万侶*1に命じて、舎人*2稗田阿礼*3天皇家の歴史や古い伝承を口述させた

・阿礼は非常に記憶力に優れ、いろんな歴史や伝承を頭に入れており、それらをすべて物語った

・それを太安万侶が書き記した

 

※引用画像ページURL

「壬申の乱」で、最後の瀬田川の戦いが起こった。 - 世界メディア・ニュースとモバイル・マネー

城とか陵墓とか : 元明天皇陵

太安万侶 - Wikipedia

2012 - 是我是我 - 是誰是誰 @ Anchen 的相簿 :: 痞客邦 PIXNET ::

 

神話と歴史が地続きになった日本の脅威

古事記』の特徴のひとつは、

皇室を中心とした伝承が中核をなしているだけでなく、

出雲のほうの伝承、大国主命*4をめぐる伝承も詳しく述べられていること

 

大国主命の伝承 ―「国譲り」の神話―

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①地上に降りた建御雷神*5大国主命に対して「天照大神*6の子孫にこの地上の国を譲るように」と迫り、日本という国が統一される

②その代わり、大国主命は壮大な出雲大社を建てさせた

「土の底の石根に届くまで宮柱を据え、高天原に届くほど高々と千木を建てた大社を建ててくれれば、自分は国を譲り、鎮まって籠りましょう」

 

 ※2014年、高円宮家の典子女王出雲大社権宮司千家国麿さんがご結婚なさっている(単に皇族の女性と神社の宮司の結婚ではなく、天照大神の系統と大国主命の系統とのご結婚)

 

古事記』のもうひとつの特徴は、神話と人の代の歴史が地続きであること

⇒「これ(上巻)は神代の話」「ここ(中巻以降)から人間の歴史」と断っている

*神話と歴史が地続きになっているということは日本の歴史を考える場合のポイントといっていい

 

◆神話が無いと話が一貫しない一例 ―藤原道長

平安時代に我が世の春を謳歌した藤原道長は、なぜ天皇の位を狙わなかったのか?

⇒藤原家が、邇邇芸命*7の「天孫降臨*8」に付き従った天児屋命*9を先祖としていたため

 

天児屋命は重臣ではあるが、邇邇芸命に扈従した身分であるから、決して天皇になることは出来ないと考えた

 

※引用画像ページURL

ホーム - 八百万の神~神道の心を伝える~

 

漢字の音を利用してやまとことばを表記した太安万侶の功績

重要なことは、太安万侶稗田阿礼の語りをなんとかして日本語で表記したいと考え、努力し、それに成功したこと

⇒それまで日本語は「文字」を持っておらず、そこで彼は漢字の“音”を利用することを考えた

 

例)『古事記』上巻の冒頭文

【原文】

天地初発之時、於高天原成神名、天之御中主神。次高御産巣日神。次神産巣日神。此三柱神者、並独神成坐而、隠身也。

【読み下し】

天と地が初めて姿を見せたそのとき、高天原に成り出た神の名は天の御中主神、次に高御産巣日神。次に神産巣日神。この三柱の神はみな独り神で、いつの間にか身を隠してしまわれた。

やまとことばにいかなる漢字を当てたのか、つまりどんな漢字表記を行っているかとなると非常に難しくなるが、日本語(やまとことば)を初めて文字として表記したので画期的な大事件となった

 

古事記』解読における本居宣長の大功績

古事記』の原漢文を解読するのは非常に難しく、『古事記』は写本が少ない

⇒そんな『古事記』がだいたい全部読めるようになったのは本居宣長のおかげ

 ※有名な古事記伝(1798年脱稿)の功績は実に大きい

宣長の『古事記』の読み方に関しては、後世の研究によって異論も出ているが、大筋は宣長の読みに従い、それを補足・訂正するなどして読み進められてきた

f:id:yuna84Galaxy:20160905192215p:plain本居宣長(1730-1801)江戸時代の国学者・文献学者・医師。

 

しき嶋の やまとごゝろを 人とはゞ 朝日にゝほふ 山ざくら花

―日本人である私の心とは、朝日に照り輝く山桜の美しさを知り、その麗しさに感動する、そのような心です―

 

※引用画像ページURL

鈴屋衣

 

かな文字の誕生と文学の発生

太安万侶がやまとことばの漢字表記を発明したおかげで、そのあとの『日本書紀』(『古事記』の8年後に編まれた書物)でもやまと歌である長歌および短歌が漢字表記で膨大に記載された

 

日本書紀

第四十四代元正天皇舎人親王を総裁にして編纂させたもの

⇒外国人に見せても分かるように、漢文で書かれている

日本書紀』冒頭文

 

【原文】

古天地未剖、陰陽不分、渾沌如鶏子、冥涬而含牙。

【読み下し】

古に天地未だ剖れず、陰陽分かれざりしとき、渾沌たること鶏子の如くして、冥涬にして牙を含めり。

【意味】

天と地がまだ分かれず、日月・男女などふたつの気も分かれていないとき、その混沌としたさまは卵の中身のように茫漠としていた。そこにはなにかの発芽のようなものが見られた。

 漢字・漢文だけでは日本の歴史は書けないので、膨大に登場する神さまの名前や日本の土地の名、長歌および短歌は『古事記』に倣った表記になっている

 

例)邇邇芸命父親マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミノミコト」の表記

古事記』 ⇒正「勝」吾勝勝速日天之忍穂耳命

日本書紀』⇒正「哉」吾勝勝速日天之忍穂耳命

 

同じ音でも『古事記』と『日本書紀』では異なる漢字が使われている

⇒全く違う人物が書いたことが明らか

やまとことばを漢字で表すことが当たり前になったことを意味している

↓↓↓

しばらくすると、「こんな漢字で書くのは面倒」ということになり、漢字を崩してひらがなが作られるようになる

【ひらがな】

「安⇒あ」「以⇒い」「宇⇒う」「衣⇒え」「於⇒お」・・・

↓↓↓

そして漢字の旁(つくり)や偏(へん)の一部からつくったのがカタカナとなる

【カタカナ】

「阿⇒ア」「伊⇒イ」「宇⇒ウ」「江⇒エ」「於⇒オ」・・・

↓↓↓

漢字から完全に離れて日本語を表記できるようになる

⇒10世紀頃、『伊勢物語』『源氏物語』といった、ほとんど漢語を使うことなく、やまとことばだけで書かれた日本の文学が誕生する

伊勢物語』八十二段の歌(在原業平

世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし

―この世の中に、まったく桜がなかったとしたら、春のころの人びとの心はのんびりした気分であったろう。しかしいま、桜が咲いているので、たとえば雨が降って散りはしないかと気になって仕方がない―

 かな文字の誕生によって、やまとことばを国語で表記するという伝統が生まれた

⇒漢字の影響を受けた国はいろいろあるのに、仮名を発明したのは日本だけであった

*日本人は外国の文物を自由自在に吸収・消化していく能力に長けている

 

中国、韓国とはまるで違う日本の伝統

◆韓国

 韓国ではかな文字のようなものを発明することができなかった

⇒朝鮮文学は日本人(福沢諭吉の弟子の井上角五郎ら)がハングルを普及させるまでは無かったと言ってもいい

 

◆中国

古代中国文学の孔子の『論語』や『孟子』というのは「周」の時代の文化

⇒しかし、その周も500年ほどでおかしくなってしまう

 

f:id:yuna84Galaxy:20160905205557p:plain孔子「このままいけば周の文化が無くなってしまう」

その危惧から形を整えたものが「五経」(「易経」「詩経」「書経」「礼記」「春秋」)

孔子からさらに300年くらい経つと、周は本当に潰れてしまい「秦」になる

 

前漢から後漢があり、三国時代五胡十六国時代南北朝時代ときて、それを統一したのが「」だった(聖徳太子の時代)

 

◆移り変わってきた中国の民族

「隋(鮮卑)⇒唐(鮮卑)⇒宋(漢民族)⇒元(蒙古民族)⇒明(漢民族)⇒清(満州民族)・・・」

孔子の時代は「鮮卑」という民族だったが、今の中国とは関係の無い民族であり、「周」も今の中国とは関係が無い

*中国大陸はいずれの王朝も漢字を用いてきたので一定の文明・文化が連綿と続いてきたかのような錯覚を覚えることは確か

 

※引用画像ページURL

名言で英語を学ぶ!〜孔子(Confucious)〜

 

皇統の継承は「男系男子」による

 『古事記』は皇統の継承は「男系男子」による、という伝統を明らかにしている

⇒下巻の第二十五代・武烈天皇の項に記されている

 小長谷若雀命*10武烈天皇)は長谷の列木の宮に坐して、天下を治められること八年であった。この武烈天皇には日嗣の皇子がいらっしゃらなかった。そこで、自分の名を後世に伝えるため、「小長谷部」という皇室の私有民を定められた。

 武烈天皇がすでに亡くなられたというのに、皇位を継承する皇子がいらっしゃらなかった。そこで、応神天皇の五世の孫である袁本杼命*11を近淡海から迎え、手白髪郎女*12と娶わせて天下を委ねたのである。

継体天皇は第十五代・応神天皇の五代後の子孫といい、それだけ時代が経過すれば血統は随分薄れたはず

⇒それでも少しでも皇統を受け継いだ男子を探して来なければならなかったのは「皇統継承は男系男子による」という原則があったため

  ※実際、継体天皇が結婚された手白髪郎女は先代の武烈天皇の姉か妹だったのでもし「女系継承」が許されるなら彼女が皇位を継げば話は簡単だったはず

*女系による皇位継承は許されなかったため、八方手を尽くして田舎から袁本杼命を見つけてこなければならなかった

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◆なぜ男系でなければならないのか?

皇統は「畑」(女性)ではなく「種」(男性)によって維持するのが原則とされたため

「種」…畑に植えても田んぼに植えてもなんら変わりが無い

⇒永続性ないし連続性がイメージされる

「畑」…稲を植えれば稲が生えるが、粟を植えれば粟が生えてしまう

⇒永続性ないし連続性は崩れてしまう

 

そのため、皇室では「畑」ではなく「種」が重視されてきた

 

 ※引用画像ページURL

「女性天皇」と「女系天皇」 ── 国民が理解しておくべき最重要ポイント(下)

 

日本人の歴史観の根底をなす『古事記

 占領軍は「天皇が神ではない」ことを示すために神道指令神道の禁止令)を出して日本の宗教に干渉してきた

 神宮皇學館という学校は一時廃止され、国学院大學でも『古事記』を教えることができなかった

しかし、上智大学は当時新制大学に変わったばかりだったので文部省(現・文部科学省)の指令に従っており教養科目を非常に重んじたため『古事記』を学ぶことができた

 

◆『古事記』のもつ重要性まとめ

  • 神話の時代と歴史の時代が地続きであることを明確に示している
  • 太安万侶の発明によって漢字の音を使い、やまとことばで、古代の心や事績を書き残すことができるようになった
  • その発明は、かな文字の起源にもなった
  • 古事記』に記された皇統の継承は「男系男子」による原則を伝えている

 

第1章『古事記』の伝承 おわり

 

日本人の遺伝子

日本人の遺伝子

 

 

*1:おおのやすまろ

*2:皇族の身の周りの世話をした役人

*3:ひえだのあれ

*4:おおくにぬしのみこと

*5:たけみかづちのかみ

*6:あまてらすおおみかみ

*7:ににぎのみこと

*8:天照大神の命を受けて、その孫である邇邇芸命高天原から日向国高千穂峰に天降ったこと

*9:あめのこやねのみこと

*10:おはつせのわかさざきのみこと

*11:おおどのみこと

*12:たしらかのいらつめ 母は春日大娘(かすがのおおいらつめ)の皇女。継体天皇の皇后となり、欽明天皇を生む